誰でも出世できる可能性のある社会は厳しい

エッセイ

会社をだますのがつらくなってきた

この春の移動で本社に戻されることになりました。

名目は、更に上の役職を目指すための移動だそうです。

少し前の上長との面談で、打診されました。

その時の私の正直な感想は、

「もう、しんどいのでかんべんしてほしい。」

でしたが、長い間のサラリーマン人生で染みついた習性から、口から出た言葉は、

「ありがとうございます!! 期待にそえるよう全力で頑張ります!!」

でした。

ああ、またやってしまった。

自分でいうのも何ですが、私の場合少しの成果を大きく見せかけるのだけは上手なのです。

実際、運が味方して、部下が優秀だったり、客が良かったりして、何にもしてないのに成果が出ることも結構ありました。

それで、こいつはなんかやりそうな感じというだけで会社員人生渡って来ましたが、ここから上となると、運だけでは如何ともしがたいことは自分でもよくわかっています。

 

常に上昇志向でないと生き残れないのか

それが分かってるのに、なぜ、「頑張ります」などと言ってしまったのか。

それは日本の会社というものが、現在の自分の立場から常に上を目指さないと評価されないシステムになっているからんほかなりません。

平社員であれば係長へ、係長であれば課長へ、課長であれば部長へと常に昇進の意欲を見せないと、「あいつはやる気がない」と見られてしまいます。

そしていったん低評価がついたらそこから挽回するのは至難の業です。

同じ失敗をしても、高評価人間がやった失敗なら、「たまにはそういう事あるさ」でお咎めなしですが、低評価人間がやらかすと「駄目な奴は何やっても駄目だな」とさらにマイナス評価になるのです。

いずれ会社を辞めるとはいえ、それまでのサラリーは最大化したい。

そのためには低評価に転げ落ちるのは、辞める直前のボーナス時査定が終わるまでは許されないのです。

そういう訳で、実際役職が上がるわけでもない移動の打診を受け入れざるを得ませんでした。

なるべく、最小限の努力で、目を付けられない程度に働かずにやり過ごしたいと思います。

 

欧米の方が優しい仕組み

日本の会社は新卒一律採用で、表向きはだれもが出世できる可能性があることになっています。

ところが実際には、入社後2,3年で大体その人の素質や、仕事への向き不向きというものはわかってしまいます。

それでも、面談などで、「お前ならできる、もっと改善しろ、そうしたら上を目指せる!」と鼓舞し、半ばだまして仕事に向かわせるわけです。

そして、その人なりに頑張るわけですが、もともと素質がないので一向に目が出ません。

結局、10年、20年たってちっとも偉くならないし、給料も上がらない自分を見て、「今までの頑張りは何だったんだ。」となります。

その点、外資系企業では、1,2年やって見込みがないと面談で「残念ながら、君に与えられる仕事はない。」といわれて首を切られます。

これは考えようによっては見込みがないことを早く教えてもらういい機会で、その会社では目が無かったが別の会社では目が出るかもしれません。

しかし、10年、20年たって、「やっぱお前には無理だと思う。知ってたけど。」と暗に言われるほどつらいものはありません。

何しろ無駄な努力をずっとしていたわけですから。

会社にとっても、成果の出ない仕事を社員にずっとやらせても効率が悪くなるだけです。

そういう悲劇を防ぐためにも、出世を餌に社員を頑張らせるという制度を改めるべき時に来ていると思います。

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