もうこの桜もそんなに多く見れないかもしれない

エッセイ

本日仕事での移動の合間に撮影した一枚

桜満開

本日、私の住んでいる関東地方は穏やかな天気で風も強くなく、絶好のお花見日和でした。

ただし会社に縛られている私は、日光のあまり射さない薄暗いビルの中で仕事です。
そんな中思い出すのは新入社員の時の私の上司です。

その上司は私の入社からずっとお世話になっていた人で、仕事ができて部下の面倒見も良い人でした。

そういう人ですから、とんとん拍子に出世していったのですが、その上司との思い出によくお花見に連れて行ってもらったというものがあります。

それも仕事中に部下を全員引き連れて。

今、私が当時のその上司と同じ職位にいるのでわかるのですが、中間管理職では上長のお叱りが怖くなかなかできる事ではありません。

その人も順調に出世街道を駆け上がっていたのですが、あと少しで役員というところで、病に倒れ、帰らぬ人となってしまいました。

非常にお世話になっていたので、ただただ驚き、悲しかったと共に、上から引っ張り上げてもらおうと思っていた私の目論みもその時についえたのでした。

そういうわけで昔を思い出してしまったため、少し桜を見に行く事にしました。適当な理由で外出の用事を作り、会社から出ました。

春の陽気を感じながら、桜並木を歩いていると、上司との思い出もそうなのですが、その他色々なことが思い出されます。

入学式、卒業式、大学時代の無茶なお花見など。

そして若いころは全然そんな事を思わなかったのですが、人生もほぼ確実に半分以上が過ぎたという事。

それは、春に桜を見る事が出来る機会はもうそんなに残されてはいないだろうという事です。

運よく平均余命まで生きれたとしても三十数回、無くなった上司の年齢までしか生きられないとすると、あと2回しか見る事ができません。そう考えると今この桜の咲くこの季節、この瞬間が非常にかけがえのない物のように思えます。

なにが言いたいかというと、仕事なんかしてる場合じゃねぇ。という事なのですが、リタイアしたら仕事をさぼって桜を見るという事も出来なくなるわけで、これはこれでリタイアするまでの醍醐味とプラス思考に取っておく事にしました。

“願わくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃”(西行)

リタイア後はのんびり人生を楽死んだ後、西行の歌にあるような死に方が出来れば理想です。

あまりおセンチな気持ちに浸っていると、うっかり予定の外出時間を過ぎてしまいましたので、さぼりがばれる前に会社に戻りました。

 

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